2017年11月05日 (日) | 編集 |
ふと。昨日komiyamaさんのこの記事を拝読したんですがね。
komiyamaさんの頑張りとともに、彼女のブログの履歴の長さを知り。
もしやと思って自分のブログの過去ログをさかのぼってみたところ。

ひー!わたしも!!ブログ始めてから!!12年以上経ってる!!!
どんだけ人生続いてるんだって話ですよ。

人生はね、続いてるんですけどね。研究はね。ずっと沈んでます。
昨年は、何もしませんでした、研究方面で。見事に。
今年は、すーごく久しぶりに、日本質的心理学会でポスター発表しました。楽しかった。
そこでTEMという素敵な技法を知りました。



インタビューの時、ずっと気になっていた「時間」が組み込まれた分析法です。頑張って学ばなくてはなりませんが、けっこうやる気です。
そして、臨床死生学会にも顔を出しました。とても興味深かった。死と死にゆくことと生還にまみれて生き生きとするなんて因果な人間は私くらいかと思いきや、それ以上にディープに研究している方々がたくさんいて、勇気が出ました。

臨床は、ええ、まあ、ぼちぼちです。
とりあえずやっとWISCⅣ、所見100件超えました。まだまだ精進が必要です。
職場では、専門職ってなんだろな、と空を見上げて思うこと多数。

お嬢さんと坊ちゃんは元気です。
モフモフは決定的に足りてませんが、日々バタバタしている中でわんこのしつけやモフモフなんてできないことが分かっているのでJ(仮名)の後継者はまだいません。でもモフモフしたい。
煩悶しています。

それにしても、何でわたし、論文書けないんでしょうね。
モードかな。仕事辞めたらモード変更できるでしょうか。

こんな本買いましたが、これさえ時間がなくて読めていないというグズな私はどうしたらよいのでしょうか。
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テーマ:思うこと
ジャンル:学問・文化・芸術
2017年11月04日 (土) | 編集 |
こちらでは大変お久しぶりです。
ええ、前と状況は変わっていません。
生活と臨床に忙殺され、博士論文にはまだ手が届かず、延々と駄文をつづるのみ。
という日々を少し変えたくて、復活すると言いつつ頓挫していたこちらのブログの活用を、再び試みている次第です。

正直なところ、臨床と研究のモード変更に大変苦労しておりましてですね、強制的にモードを変更するにはどうしたらよいかわからず、
使えるものは何でも使おうと思っているのです。

まずは研究関連で読んだ本のレビューなどから頑張ってみますかね。

ということで、改めましてよろしくお願いいたします。
2016年05月28日 (土) | 編集 |
J(仮名)が亡くなって、一年半が経とうとしています。
しかし、私の研究テーマは未だに人と動物の関係であり、今はペットロスについて書こうとしています。

大好きな相棒だったJ(仮名)の死によって、その方向性が変わるということもなく。

もちろん彼の最期を思い出すと未だに涙は出ます。
彼と似たルックスの犬を見かけるとつい見とれます。
視野の隅に白いものが入ると空目もします。
けれどそれらが、私の研究者としての目を曇らせたり濁らせたりすることは、ありません。

これが10年前だったらどうだったかな、と思います。身も世もなく泣いたかなあ。どうだろう。
J(仮名)の死と、それに続く彼の不在は、いつか訪れるものとして、心のどこかで覚悟していたのかもしれません。少しばかり、想定より早かっただけで。
でもまあ、この10年で、対象化できるようになったんだと自惚れたい気持ちも少しあり。
実は、J(仮名)の死を挟んで、ペットを亡くした方へのインタビューが入っておりまして。インタビュー前に思ったことは、インタビューの質が変わるだろうな、ということでした。
ペットロスを研究するものとして多少は習熟して、自分の精神活動自体も対象化しているのか、それともただ単に冷たくなったのか。
願わくば、後者でありたいのですが、どうでしょうか。

それとも違う何かかな。
これがJ(仮名)ではなく、お嬢さんや坊ちゃんだったら、たぶん研究どころじゃなく、なんなら生きてるどころの話じゃないですからね。
2016年04月16日 (土) | 編集 |
2週間のご無沙汰です。ぽちこです。

さて表題。
発達屋・心理屋として給料もらいながら人様の人生の物語を拝見するようになって十年目の春のおいら、とっくりと考えました。
いわゆる残念な対人援助職とそうでない対人援助職とは、どこでどう分かれるのかと。
しかし。

わかんない。

わからないのですよこれがまた。

あ、残念でない援助職というのはですね、自分の無力さ残念さを日ごろから痛感していて、それに打ち克とうと少なからぬ努力をしている人のことを言います。
適性の有無とも近い話なのかもしれない。
上記のような努力ができる人は、適性があると言っていいと思うのですよ。問題はその逆の人でして。
自分の無力さからひたすら目を背け、努力もせずに、あるいは間違った努力をし続けてはケースの陰口を叩くという根性の悪いあいつのことです。
あなたのそばにもいますよね?いましたよね?そういう人。

そういう人に限って、自分にとってはこの仕事が天職だとかペロッといえちゃうあの感じ。
そしてまるで大天使様であるかのような上から目線とふるまい。
翻って、腕のいい対人援助職は、まるで悪魔か魔女のようです。
でもって、わたしは後者のたたずまいのほうが、対人援助職には合っている気がするのです。
洗濯屋他人の垢で飯を食い とは江戸時代の川柳だったと思いますが、対人援助職も同じだと思うんですよ。生老病死はもとより、人様の感じる不適応感や親子間・家庭内の不和を飯の種にしているんですから。
人間同士の諍いをエネルギー源として生きる悪魔の方が、対人援助職としてはふさわしいのではないかなあ。

こう考えてくると、天使と悪魔がそうであるのと同様に、適性は生まれつきなのかななどと思ってしまいそうになりますが、いやいや教育の力は偉大なんじゃないかなとか、思いたいわけです。
分かれ目かあ。
うーん。
どこなんでしょ?
2016年04月02日 (土) | 編集 |
さて続きです。

最初に言っておく!俺は、自己愛的な人が苦手だし嫌いだ!

はーすっきりした(↑の元ネタが分かる人はおともだち)。
ということで、SVと自己愛の話。

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