2006年04月22日 (土) | 編集 |
少し前,ある先生の授業で訊かれたですよね。

発達とは,何だと思いますか?」。

おいらすっげーいっしょけんめ考えましたよ。
足りない頭フル回転させてさー。

んで,のーみそをぞーぎん絞るみたくして出てきたのがこれらの言葉。

一人の人が,その身体を抱えて,刻々と変わる環境を生きていくプロセス。
自分の体と自分の置かれた環境を,やさしくゆるやかに,あきらめていく過程。
人生そのもの。


あともう1フレーズ,アタマ良さげに小ぎれいにまとめたのがあったけど忘れちった。

でもね,もうね,こんだけでね,いっぱいいっぱい。
訊いた先生の専門は生理心理だとか分かってたけど忘れた。

折り合いをつけていく過程,ではないの?とその場にいた人から訊かれたけど,折り合いじゃあ,ダメなのですよ。
あきらめ,でないと。

「折り合い」ちうのは,仕方がないけどこうしましょう,そうしましょう,はいしゃんしゃんしゃん,という,納得ずくなイメージがあるんですよ。
おいらそれじゃあ,やなんですよ。
「衰え」すらも「発達」に含めるとするならば,それは折り合いじゃないと思うのですよ。
人生ってそんな簡単に折り合いつかないでしょう。

「あきらめ」は,そこに後ろ髪を引かれつつ,でも手放さなきゃならない,ひとつを得たらひとつを失わなければならないという切なさと寂しさと悲しみが漂ってて,(・∀・)イイ!!と思ったですよ。

そんで,多分,この発達観は,おいらの背骨のどっかに入ってたもんだと思うのです。
それが取り出せたというのは,僥倖だなあと思うのです。
内容が妥当かどうかは別として。

「発達」とは,何ですか?
「臨床」とは,何ですか?
「援助」とは,何ですか?
「回復」とは,何ですか?

こういった根本を問う問いに,少しずつでも自分なりの回答を,出していければな,と思うのです。
最近考えてるのは,こんなことばっか。

あなたの答えを,聞かせてくださいな。→人気blogランキング
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テーマ:心理学
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