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2005年10月11日 (火) | 編集 |
ロテ職人さんのところでまたしても研究の重要性について触れられているので便乗して。

おいらね,勉強と研究は違うと思ってるですよ。
これは師父の受け売りなんですが。
「勉強」ちう字を見てみると,れるくすると書きますやね。
何から免れるのか。
そりゃピンチからでございましょう。チャンスから逃れてどーする。

そう考えると,試験「勉強」や受験「勉強」は受験失敗というピンチ回避のためにあるとも言えますよね。
志望校合格という目標を自ら設定し,その目標達成失敗を免れるために,進学したい若者は「勉強」するわけで,自分で「ピンチを免れる力」を強める意志と実績のない奴はすっこんでろ,というのがロテさんの主張ではないかと思うわけです(違ったらすみません)。

そんで受験「勉強」である程度以上の努力という危機回避能力を得,大学入学後は,より多くの思想と視点を,「独りよがり」というまた別な危機を回避するために「勉強」するんですよね。

そんでもって大学院は,というと。

「研究」するところ。

なわけですよ,基本的に。

んじゃ「研究」って何さ,と思ってまた字をじ~っと(ぁ)みると,「」いて「」めると書きますやね。
何を「研」いて「究」めるのか。
まあ色々あるとは思いますが,この業界に限定して言えば,大枠,学部で得た思想と視点じゃないかとおいらは考えます。

とりわけ心理というのは「心」の「理(ことわり)」なわけで,理ゆうたら何らかの法則あるいは理論を見出すことに重きが置かれるに決まってますやんか(だからそういう意味では厳密に言えば質的心理学は「心理学」ではないかもしれないわけです)。

そしてその「心」という実態のないものの「理」を見極めようとするその姿勢,そのまなざしこそが,病いの,あるいは死の「床」に「臨」もうとするものにとっては不可欠なものなんではないでしょうか。
そう考えると,「臨床」家としては,危機回避能力アップの方略でしかない「勉強」ではなくて,よりアグレッシブに「研」いて「究」める姿勢を院で叩き込む必要はあると思うのですよね。
その位の緊張感を持たねば,死の「床」に「臨」むなんて無理でしょうし。
さらに,「研」いて「究」めるためには,やはりある程度「免れるための力」がないといかんでしょう。

さて,最後においらがいつも自問している命題を。
あなたがしているのは,「研究」ですか?「勉強」ですか?

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テーマ:心理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
コメント消えたー。何で?

簡単に言うと、私が書きたかったのは
「旧帝大うんぬん」ってのは大学院受験の話じゃないよ。
学部入試の話だよ。

ということであり

「入試レベルの勉強もできない人はこないでね」

という話でありました。
2005/10/11(Tue) 18:56 | URL  | ロテ職人 #-[ 編集]
>ロテさん
削除はしてませんwなぜ消えた~?

ん~,内容ちょっと,いや結構?ずれましたかね?
でも今まで書きたいと思ってたことが書けたので満足です。
ネタ,ゴチでした。

研くと研ぐと,読み方2つあるんですが,どちらも「研究」の「研」にはしっくり来るなあと。
2005/10/11(Tue) 19:02 | URL  | ひな #grcoP6NM[ 編集]
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私は常々、以下のように主張しております。大学受験で旧帝大(北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大)か旧高等師範(筑波・広島大)、あと上位数校の私立大に入る能力がないのなら、臨床心理士を目指すのはやめてくださいと。これ大学院受験の話ではあり....
2005/10/11(Tue) 18:44:18 |  ロテ職人の臨床心理学的Blog
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