佐呂間町で竜巻…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
そろそろちゃりんこしまおうかと考えているおいらですこばわ。
週末には雪ですってよ奥さん!
さて,既にバレッバレなこととは思いますが,おいら対象関係論好きです。
主に読んできたのは(っても斜め読みだけど)サリヴァンとかウィニコットとかスターンとか。
日本なら小此木先生とか青木省三先生とか村瀬嘉代子先生とか中井久夫先生とか。
そんなおいらですが,この秋から野暮用でこれらの本を読んでるですよ。
でですね。
思い切って言っちゃうとですね。
すみません,おいら行動分析とか,
好きじゃないんです…積極的に嫌いというわけでもないのですが。
いやあの,2冊とも,良書ですよ。
カルチャー〜の方は犬のことをピーマン頭ピーマン頭言ってて,いやな意味での人間中心主義臭にちょっとイラつきましたがw,まさしくピーマン頭のおいらでもさくさく読めてしまいましたし。
オペラント条件付けをどういう風に応用してくのかってのも,多分基礎の基礎ですがわかりますし。
でもねー…
いくつか気になることがあるですよ。
これね,一応はさくさく理解できる(あるいは理解した気になる)のですよね。
わんこのコンパクトでシンプルなアタマに,効率よく人間社会でやっていくための術を教えるには,行動学の原理を応用すればよい,というのは分かるのですが。
でもね,細かいことが気になり始めるとだめですわ。
たとえばね,シェイピングのタイミングや誘導の仕方のうまさってのは,経験値がものを言うんじゃないのか?とか。
あげるご褒美にしても,関係性によってインパクトが違うのではないか?(Aさんからもらうのと,Bさんからもらうのとではご褒美の受け手にとっての意味合いが違うのではないか?ということですかね)とか。
それと,物語で「賢者の贈りもの」ってあるじゃないですか。
プレゼントは一般的に,強化刺激として働くんじゃないかと思うのですが,この物語のように,そのプレゼントの背後にある文脈はこの原理だとどう説明されるんだろうかー,とか。
(即時が強化の基本ですから,この話の「贈りもの」はそもそも強化刺激にはなりえないのかもしれませんが。)
あとはね,川端康成が,
「別れる男に、花の名を1つ教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」
なーんつうことを言っていて,これは要するに,花が咲く時その男はその名を教えたあなたのことを思い出すはずですよ,という意味なんですが,これも条件付けなんだろうかーとか(これと似たことに,別れた相手と同じ香りがその相手を想起させるなんてこともありますな)。
こーんなことを考えてしまうのは,先日
すえぞうさんが,分析系をして「文学だ」とおっしゃってたのがどっかに引っかかってたためかもしれません。
おいらにしてみりゃ,関係性だとか経験値だとか,そういった人間の「ゆらぎ」のようなものが前提として入れ込まれているならば,あるいは使う人がそれを意識しているならば,行動系のすべての所作も,程度の差こそあれ,文学なんではないかと思うのですが。
ていうか,人が人に対して何か働きかけあっているということ自体が,文学そのものなんじゃないかなあ(相手が機械だったら?そりゃ数学でしょう)。
それらが入れ込まれてない,意識されてないなら,多分おいらは今後もこっち系の理論には魅力を感じないと思います。だからどうしたって感じですが。
使えること&とこがあれば使うんだろうけど。でもややこしそうだからなー。
でもまあ,その,なんだ,うちの犬のしつけがんばりますということですよ。
でも着実においらがしつけられてる罠orz→人気blogランキング06年11月7日 20:56 加筆
>この物語のように,そのプレゼントの背後にある文脈はこの原理だとどう説明されるんだろうか
この場合は,プレゼントを渡す側が渡した相手の反応を見てプレゼント行動が強化されるんでしょうね。
>関係性だとか経験値だとか,そういった人間の「ゆらぎ」のようなもの
関係性の一部は質問紙で測定可能です。経験値は順序変数に変換可能。実際そうして研究は蓄積されています。
行動系を文学的に解釈しても楽しいかもしれませんが,臨床行為と文学は切り離すべきです。