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2006年12月29日 (金) | 編集 |
いやー,年の瀬も押し迫ってまいりました。
今年もいろいろありましたが(いやほんと色々ありすぎっちゅーくらいありました),無事に年越せそうな予感がいたしますですよ。

そんな年の瀬感に浸りつつ,今年を振り返ってみる。
おいらの今年を漢字一文字で言うなら…

 『 喪 』

でしょうかね。
縁起悪いですかそうですか。

だって,ええ,年頭には祖父が逝き,早春には入試に落ち(・・・),春には友人が事件を起こして娑婆から消え。

これらの出来事は時間がたってもなお,おいらの生活のここかしこに影を落としておりますしね。

ところで『喪』と言えば,おいら年末年始にかけて,必ずやることがあるんです。

それは何かと言いますと,ずばり,遺書作成。

いや別に死にませんよ。自死するほど自分の人生に興味も関心もないですからねw
この手続きは,亡き母方祖父の言葉によるのです。

祖父は戦中派の常とて,自分や相手の死と隣り合わせの時代を潜り抜けてきた人でしたから,生前から何かあるごとに「いつ死んでもいいように」という言葉を枕詞にしていたのです。
「いつ死んでもいいように身ぎれいにしておきなさい」
とか,
「相手がいつ死んでもいいように覚悟はするものだ」
とか。

なかでも特に年末年始にはよく言われたのですよ。

旧年中に何か誰かに言い残したことはないか。
やり残したことはないか。
そして,今死んで困ることは何か。
あるならば書き留めておきなさい。
人間なんていつ死ぬのか分からないのだから。

とね。

いや,そりゃまあ普通にやり残しも言い残しもたくさんあるのですが,それも踏まえて,年に一度,まっさらな便箋の前にたたずみ,今年一年の来し方行く末,お世話になった人たちのことを脳裏に描きつつ,「今ここ」での気持ちを書いてゆく,というのは,何というか,ああ,あれだ,かさぶたはがしの快感にも似ているような。

これを年の瀬の空気感の中でやるというのがまたなんとも。
ちなみにそうして書いた前年の「遺書」は,厳封して1年間,言われなきゃわからないところにしまいこみ,今年の「遺書」を書く前に読み返してから焼却処分です。

こんなことを言い出した祖父自身が自分の遺書をどうしていたのかは分かりませんしw,この作業をいつ始めたのか自分でももう覚えて這いませんが,年の瀬に死を想う,というのはなかなかにタフで清冽な作業ですよ。

memento moriな師走,もし良ければ,おすすめです。

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