連休中日で桜も満開,おいらの頭は常に春,こにちはぽちこです。
さて,先日からコメント欄で,熱くも噛み合わない議論が行われているロテ職人さんのblog。
議論@コメント欄には参戦する気ナッシングなのですが,「心理職に向いていない人をふるいにかけるのってありかなしか?」という本論にはちょこっと参加してみたかったり。
そんなわけで以下,おいらの雑考です。
コメント欄の最後の方で,研究能力と臨床能力の相関なんてないんじゃね?ということをおっしゃってる方がいらっしゃるのですが,これに対してはおいらyes and noだと思うですよ。
あ,まずは自分のことを地球の裏側にある棚に上げていることを前提に。
ロテさんのおっしゃるように,臨床能力の一部=研究能力≒論理的思考能力であるとする考え方(って違ってたらご指摘ください<ロテさん)もあると思うのですが,おいらが大事だなーと思うのは,社会人でもストレートマスターでも,院に進むことで「無知の知」を得ることだと思うのです。
そいでもって,論理的思考能力は,そこから始まるんじゃないかと。
大学院ってのは研究の場ですし,研究ってのは知りたいことを知る,知らないことを知るためのものですし,まずは,知らないことを知ろうという意欲と素直さなんじゃないですかねえ(ということは,資格を取るだけのために進学する人は(ry ということにもなりますね,自動的に)。
で,その中でも知ることに貪欲な人は研究者に,実践に興味を持った人は臨床家になっていくんじゃないかと。
そいでもって,知ることと実践というのはコインの表と裏ですから,実践のなかでわからないことがでてきて,そのわからないことを研究して,それを臨床に還元して,という知のスパイラルになってくと思うのですが,どうでしょ?
そう考えていくと,無知の知もなく,研究における謙虚さと素直さがないのって,研究者はもちろん臨床家でもやばいんじゃないでしょうか。
おいらも一応,現場の方と親しく話させていただく機会が多々あるのですが,勉強したい,研究したいと思って実際にやってる人と,勉強したい,研究したいと口ではいうけど実際にはしてない人と,勉強?研究?( ゚Д゚)ハァ?という人の差は,それはもう歴然です。
ええ,ペーペーのおいらにもわかってしまうほどに。
研究したい人というのはすごく謙虚です。
というか,専門家は皆そうであるのが望ましいと思うのですけどね。
私が言えるのはここまでですが,と守備範囲(できることとできないこと,いえることといえないこと)をきちっと提示して,その範囲内では,がしっと深い考察をする。
これ,おいらの理想です。
守備範囲がどこまでか,ということを把握するのにも深い考察を加えるのにも論理的思考能力が必要になりますし,その能力は臨床においても応用できると思うのですけどね。
何やらごっちゃになってきたぞ。
えーと,何が言いたかったかというと,研究能力がだめだっつーんなら,研究への姿勢ってのはどーですかってことなんです。
ま,そんな抽象的なこと言ってもだめなことはわかってるんですけどね。
素直で謙虚なだけでもダメだしな。
それを越してしまうと今度は セ ン ス っつー抽象度Maxなことが出て来そうだしな。
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