2007年07月20日 (金) | 編集 |
河合先生のご逝去に引っ張られて、というのも少しあるかもしれませんが、人と動物の「関係性」についてのあれこれをちょびっとだらだら綴りたいと思います。

人と動物の関係学、という新しい学際的分野が開かれてまだ30年余り(ん?40年か?)、その言いだしっぺは誰だったか、おいらは知りません。

ただ、現状をちら見して「面白いな」と思うのは、あくまで私見で、かつ乱暴な分け方ですが、文系人間であればあるほど、人と動物の関係について、むしろ「関係性」から離れて、倫理学的・哲学的に「人と動物の差異」を見つけ出そうと躍起になりがちなこと、理系の方々のほうが、動物と人との関係性について(おいらにとっては)興味ある指摘をしてくれていることです。

文系人間はどうしても、人と動物は同じである!とか言われると躍起になって「いや、人と動物には非対称性が・・・」とか言い出してしまってるような気がするんですよ。
杉山登志郎御大のお気に入りのこのシリーズとかね。

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(「そだちの科学」でのブックレビュー、楽しゅうございました>杉山先生
でも最後、愛着理論にぶっとぶのにはついていけませんでした>杉山先生)

いや、あの、気持ちは分かるんですけどね。おいらも文系人間だし。文系が指摘する点も、人と動物の関係にはもちろんありますよ。でもそれはあくまでも側面であって、それだけじゃないし、それに、姿勢としてね、何もそこまで躍起にならなくてもいいと思うんですよ。

んで理系の方々を見てみると、「人と動物の」関係、なんてしゃっちょこばらずに、もっとシンプルに、『ん?「個体と個体」の関係でしょ?』とあっさりしている観がある。
psy-pubさんが挙げられている、松沢先生のシビれる発言然り、
ユクスキュル然り、この本然り。

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この差はすごく面白いな、と思うのですよ。
関係性に注目しながらも、でも情緒的にべたつかず、あっさりと見ているような(研究上はね、実際の関わりはもちろん知りませんが)この感じ、好きです。

文系人間はどうしても情緒に偏ってしまって、ともすれば「自分もヒトという動物なのだ」ということをきれいさっぱり忘れてしまいがちなんですよね。
でもあたりまえですが、実際は違う。ヒトは人という動物で、イヌも犬という動物なんですよ。
人と動物が1対1で関わった時、そこには人間の権威なんて全然関係なくて、ただただ、種の違う個体と個体が対峙することから起こってくるこもごもがあるのみでしょう。
おそらく、理系の方々はこの時の自分の個体としての肌感覚を忘れないから「人間様」にならずに済むのではないでしょうかね。

おいらが何でこの発想にいたったかというと、これまで細々と生物環境学や生命倫理学の本を読んできて思ったことももちろんあるのですが、日本の心理学界で初めて、人と動物の「関係性」に触れた河合先生は、もとは理学部出身であられたことに思い至ったからなんですね。

河合先生は心理学者として関係性にも触れておられる上、その関係性が個体と個体の出会いの数だけあるのだということを前提に、人と動物の、多岐にわたる関係を示唆しておられた。

「人にとって動物とは何か?」という問いの答えは、ひとつではないことを、たぶんご存知だったのでしょう。
そう思われていた基盤は、おそらく文系的発想ではなく理系的発想、もっと限局して言えば理系のなかでも複雑系の発想なんじゃないかと妄想してみたわけです。

そして今のおいらもどっちかったら複雑系に惹かれがち。だもんでユクスキュルに生命倫理学ですよ。
どーするどーなる研究よ!どこへ行くんだ研究よ!
ん?文系人間らしくアリストテレスか?そっちに行くんか?

どーする?どーする?どーするよ俺ー!

おいらの人生複雑系orz→人気blogランキング
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コメント
この記事へのコメント
どもです
どもです。

TB,なんか的外れに思えるかもしれませんが,僕の中ではつながってるつもりで……。

結局,生きるってなんだろって思うと,コミュニケーションかなと思い,個体内も個体間も,分子生物学的なミクロから宇宙科学的なマクロまで,認識と応答の連鎖で成り立ってるといえるわけで,なんか気が遠くなりそうです。

だからなんとなく,システム論とか複雑系とか生態学的な視点に,その本質があるのでは,と気軽に妄想したりしますが,気軽に妄想しつつ,関係性という概念の複雑さにまたまた気が遠くなりそうになります。

なんとなく僕が読んでる書籍レベル(論文は読めないですから)では,関係性を現象レベルで量的に記述してるようなのはないので,おそらくきっと難しいんだろうなと思います。個体内だと「生きる」を基盤に,動的平衡だの動的非平衡だのオートポイエーシスだのあるのになあ。関係性の基盤って,世間話レベルでは,たとえばコミュニケーション論とかからだっていろいろ言えそうな感じがありつつ,むしろいろいろ言えそうだから難しいのか。どうなんでしょうか?

ひどいコメントになってしまいました……。ゴメンナサイ。ぽちこさんのおっしゃってるレベルまでは,まだ考えが及びようもなく,だったら書かなければいいのですが,やっぱりコミュニケーションだなと思うので,気になってしまいますよ,関係性。

結局,ぽちこ先輩,ファイトでーす! というしかないので,ぽちこ先輩,ファイトでーす! と連呼して失礼しますです(なんだこりゃ)。
2007/07/24(Tue) 14:08 | URL  | psy-pub #7VgScPWU[ 編集]
応援ありがとうございます~
はい~、つながり具合はたぶん分かっております。
「生物と無生物のあいだ」は既に購入済みで今読み中ですしw

理系的発想の何がうらやましいかって、何が何でも記述したるでぇ!という気合ですよ。そして実際に記述しちゃってますし。
そうの気合という点でも実現性の点でも、関係性の量的で「正確な」記述は、たぶん無理でしょうねえ。

だって関係性を持ちうる対象は、無機物か有機物かを問わず、また、有形か無形かを問わずあると思いますし、その網の目を正確に記述するのは、絶望的に難しい(だから鯨岡御大は「人間関係」にとりあえず限定したんだと思います)。
そもそも記述していくそばから遺物になっていくというこの行為に引き付けられること自体がドンキホーテチックな営みなのではないかと。
関係性の中に、普遍性と個別性が同時に内在している時点で、それはもう運命付けられているというか。
なので、

>むしろいろいろ言えそうだから難しいのか。

というのは結構身にしみて痛感しています。
関係性を、時間とか時代とか社会文化まで含みこんで包括的に見るというのは憧れですが、それでもやはり定点というか軸足を決めないとどうにでもなってしまうので(;´Д`)
コミュニケーション論ですかー。読みたいなあ。
ってまだ広げるんか!とどこからか声が聞こえてきそうだなー。

ちなみにおいらが関係性の基盤てこれじゃね?と妄想してるのは「みてわかる」「接してわかる」ことなんですが。
これまた客観か主観か間主観なのかわかんねーんですよねえ。
ダメだこりゃ'`,、('∀`) '`,、

とにかく応援に恥じない研究をしていければと思いますよー。
コメントありがとうございました。
2007/07/26(Thu) 01:29 | URL  | ぽちこ #grcoP6NM[ 編集]
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『生物と無生物のあいだ』を呼んで大興奮,『二重らせん』,『ダークレディと呼ばれて 二重らせん発見とロザリンド・フランクリンの真実』と展開して,いきなり『砂の女』に逢着する,そんなエントリ。
2007/07/23(Mon) 11:35:59 |  心理学の本(仮題)