2007年08月03日 (金) | 編集 |
素敵に投稿日詐称中のぽちこです今晩和。

先日のクイズ「プレイボーイのトレードマークはなぜウサギか?」の答えです。
ずばり、「ウサギは哺乳類の中で最も繁殖力が強いから」だそうですよ。
いやー、まー、確かにねー、うさぎの交尾は何というか、いろんな意味で目も当てられない光景ですしねーってそんな話ではなくてね。

はい、なぜに診断だーの、援助だーの、と今更のように言い出したのかっつーことですよ。
うーん、つながってるかつながってないかよく分からんのですが、今おいら、自分が子どもを相手に展開している行為は、何というものなのかなーと、ちょっと考え中でして。

治療、ではないですし。
むしろ、発達障害の「治療」って何だよ、と思ってしまいます。
最近のおいら、治療という言葉に、上から目線な感じを抱いてしまうのですよ。
発達障害のあるお子さんの、不適応から来る二次的な症状には、「治療」でしっくり来るですよ。鬱とか不安とかね。
虐待を受けたお子さんへの対応も「治療」で全然可。

だけど、『発達障害の「治療」』と言われると、何様?と思ってしまうおいらはマイノリティなんでしょうかねえ。
何かさ、「おまいらこっちの世界にあわせろよ治療してやっからよ」という尊大な威圧を感じてしまうんですよね。

だってね、たまにいるんですよ、発達障害の診断だけ出しといて
「うちでは治療できないので他へ行って下さい」
とか言っちゃうお医者さんとかね。
ホント、何様?て感じ。
同じ援助者として大変に腹立たしいし、クライエントさんに大変申し訳なくなります。
そんな医者こそ顔洗って出直せや(#゚Д゚)ゴルァ!!

この世界と折り合いをつけてかなきゃなんないのは誰しも同じだと思うんですけどね。
でもっておいら的には、その「折り合いをつける」という行為は、治療という言葉では表せないよな。と。
その折り合いのつけ方を一緒に考えましょ、というのがおいらが考える自分の「臨床的援助」のベースにあるなあと思うと、尚更。

もう少し言うと、治療っていうとどうしても、「人生」とイメージがつながらない。
ま、これはおいらの経験とイメージ力が足りてないことによると思うんですけどね
'`,、('∀`) '`,、

治療的環境、というときの「治療的」という言葉はオッケーなんですけどね。

んー、んー、指導、でもないよなあ。
関わってく中でソーシャルスキル的なものを伝えたりもしますが、でもそれだけでもないし。
こっちは何というか、「指導」=教師がするものというイメージが先行してしまって、おいらそこまで偉くないですよーと及び腰になってしまう感じ。

そうすると、「関わり」というのが一番しっくり来るですが、ちょっと漠然としすぎかなあと。
関わりは関わりなんですが、たいていは、何かを狙いながら、Being withを意識しながら関わってますしね。
んな下心のある関わりは、タダの関わりではない。

んー。何かぐつぐつになってきたぞ。
ちょっと整理してみよう整理。

<しっくり来ない>
発達障害児者への「治療」
  同     「指導」

<まあよし>
発達障害児者との「関わり」
「治療的環境」の「治療的」

<(・∀・)イイ!!>
該当なし

と、すると、必殺ミクスチャーで、『治療的関わり』か?
うんまあ、今のところは、これがベストかも。

お医者さんもいろいろっすね。→人気blogランキング
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