2007年12月23日 (日) | 編集 |
最近おいら,発達屋だてらに学習支援に興味があります。
自分でも,専門学校で学生さんと関わることがありますし。
で,思うのは,学力と知力と意欲って,三つ巴だよなあ,ということなんですわ。
ああ,学力の前に「基礎」ってつけてもいいかもしんない。

その三つ巴のどこからとっつくか,てのは人それぞれだと思うんですが,おいらの場合は意欲をジャッキアップするところからが一番やりやすい。
子どもとのやり取りにしろ,学生さんと対するときにしろ,相手に意欲がどの程度あるか,そこの見極めに一番時間をかけます。
で,学生さんの場合には,

相手の意欲のありどころとありようを把握する
→それについてできるだけ多様な視点を提示する+議論
→自分で考えてもらう
→それを形にしてもらう

という手順を狙うことが大変に多い。おいらの場合は,まず意欲。
おいらが必要だ~と思う知力というのは,物事への視点を固定化せず,さまざまな方向から物事を見て吟味できる力なんですが,これは鍛え方である程度までは保証できると思うんですよ。
若者であればね。

ちなみに,経験上,40過ぎちゃうともうだめですねえ。
40過ぎて柔軟な姿勢を持ち合わせてる人は,稀有だと思います。
あと,先日書いたような,前提からしてダメな香具師は議論にもならん。つか,こっちに議論する気がない(ぉぃ

がしかし,どんだけ意欲があっても,そこからどんだけ知力が伸びても,自分で考えたことを形にする段になって,学力の壁がだだーんと,ずずーんと,立ちはだかって来るんですよねえ。
自分の考えや思いを伝えたい,と思ったときに,表に現す手段を持たないというのは,結構きつい。
何のために学ぶのか,というのは,永遠の命題でもありますが,おいらなりに仮の答えを出すとすると,自分の世界を表に現す術を得るためだと思うんです。
国語でも算数でも,音楽でも図工でも,何でも。
できれば高校までの12年間で,意欲をそがない形で,知力の礎となる学力をつけていると,その先は結構いいスパイラルに乗っかるんじゃないかと思う。

学力が追いついていない時でも,伝えたいぞーという意欲が強い時,その壁をうんとこしょっと越してしまうのが,子どもや学生さんのすごさなんですが,でも出来れば壁は低い方がいいし,ないならない方がいいだろうなあとも思う。
そういうシーンに出会うと,こっちとしても,そりゃあもうぞくぞくわくわくして,うれしくて仕方ないんですけどね。
だから意欲を刺激するところにフォーカスしちゃうわけですが。
うまい人なら学力向上からアタックしてって意欲に結びつける人もいるんだろうし,知力を伸ばすところから学力に結びつける人もいるでしょうし,奥が深いよなあ,と思うわけですよ。学習支援。

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テーマ:心理学
ジャンル:学問・文化・芸術
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