先日,障害を対象化するということについてのあれこれをうだうだと述べたわけですが,おいらとっくり考えてみて,加味すべきものを加味してなかったなあ,と,はたと気がつきました。
先日おいら,発達障害云々にかかわらず,「困ってるから支援する」というのでいんじゃね?といったわけですが。これって心理屋だから言えるのかもーという気がしてきたのですよ。
もっと言えば,発達屋だから言えることなのかも。
というのも。
あのですね,杉山先生は,お医者様ですよね。
お医者様っていうのは,当然ですが,伝統的に,病者のみを相手にしてきたわけですよね。
そしてこれも当然,病院てのは,病んでる人が行くところであって,困ってる人が行くところではない。
しかしこの国は「困っている人」への援助が非常に手薄です。それを医療関係者が憂慮しても,それはちっともおかしくない。むしろ望ましい。
しかし困っている人を医療関係者が支えるには,障害の対象化というよりも困難の医療化がぜひとも必要です。
「この人は障害で困っているんだから,医療からも援助を」
というエクスキューズがどうしても必要。
そのエクスキューズ獲得のためには,どぎついほどの啓蒙が必要です。
杉山先生のあそこまでの啓蒙活動は,それを目的にしてるんじゃないかという仮説を立てるとなぁるほど,と思えるようになるわけですよ。おいらはね。
その反対に,不登校も引きこもりも医療化されている現在,滝川先生や青木省三先生は―滝川先生はだいぶ心理チックな論の張り方をされることが多いですが―,その辺で当惑されて,
「単に『困ってる人』を『病気』に仕立て上げていいの?」
と疑問を呈されている。
例えばこれね↓
同じ医師でもだいぶスタンスが違ってて興味深いんですが,これはやっぱり医師ならではの悩みというか課題なんだと思います。
そして教育の世界を発達障害という用語が席巻しているというのも,構造的に似ているところがあるからじゃないでしょうか。
子どもについて,「問題児」や「学習困難児」などの区別がやんわりとされてきた教育畑では,『発達障害』という新たな概念というか枠組みは,受け入れやすかったんじゃないかと思うんですが,いかがでしょう。
(教育と医学なんて雑誌もありますが,雑誌名からして心理まるっと無視かよすげーなー,と思っていたのは内緒。)
んで翻ってみて,我々心理屋業界を見渡してみると,まあ職域広いしスタンスも様々ですよね。
実際はどうか分かりませんが,基本的に心理屋ってのは,心理系何でも屋だと思うんです。非常に自由度が高い。職域も黒白はっきりしてなくて,それこそスペクトラムなグレーでしょう。
しかしだからこそ,おいらみたいに
「困っているなら支えればいいのに(アントワネット風)」
なんつーことも言えるわけでね。
この自由度をどう生かすかってのが心理屋の課題だと思うし,もしかしたら資格問題の根っこにはこの手の課題が解決されないまま転がってる気がするんだよなー。
おいら的には診断できない/しないことの良さの方を採用したいですが。
ただ,今現在の医療現場で発達臨床をがちっとやろうとすれば,やる側は儲からないような仕組みになってますし,そもそも医療は「困ってる人のため」ではなくて「病者のため」にあるわけだから,生涯にわたる長期スパンで物事を考えなきゃならない発達臨床とは相容れないシステムなのは当然だと思うんですよね。
さくっと回復しない病者は想定外なのが病院てもんでしょう。
だから,「精神病」が「精神障害」になった時に医療が対応できた(ないしは対応する気になった)のは大したもんですよ。
社会・文化の中での医療の立ち位置を意識して啓蒙する時,あの中井久夫御大でさえ,文化人類学という巨大な装置で変革を試みていくしかなかったのに対し↓,
杉山先生は事象の徹底した医療化で自分たちの援助の理由付けをする。
これはもう,どっちが正しいとかではなくて,最終的にはどっちが好みかってとこに寄るような気がします。
弊害が少ないけど難しくて少数しか生き残れないのは中井御大の切り口でしょうし,容易に入りやすくて効率いいけど弊害多い(あっ)のは杉山先生のやり方でしょうし。
おいら的には中井御大が好みかな。
シンプルだけど早わかりしてはならない厳粛なところがいい。
そもそも人の育ちも臨床家の育ちも,効率とは無縁のところにあった方がいいと思うので。
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