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2005年11月07日 (月) | 編集 |
ロテ職人さんが精神科受診と偏見について書いておられます。
mooさんとこの「何でも利用してください」というエントリでも,精神科受診の敷居の高さについて触れられています。
それに刺激を受けて少し書きます。

これは知り合いの開業医(内科)の話ですが,診察していく中で,例えば「これは明らかに摂食障害じゃないか?」とか「その食欲不振は鬱からでは?」とか思っても,クリニックレベルでは精神科受診までは軽々しく勧められない,とのこと。
逆に患者さんが精神科や心療内科から紹介されてきたりするのは全然違和感ないし,精神科よりは心療内科のほうが気軽に勧められるそうです。
これって根っこにあるのは偏見なんでしょうかね。偏見が精神科の敷居を高くしてるんでしょうか?

おいらは医療の現場に詳しくない,むしろ受診者側の立場に近い,というエクスキューズを前提にざっくりと言わせていただけば,精神科領域において「鈴をつける」作業は,他の医療のそれよりも,いろんな意味で大ごとなんじゃないでしょうか。
精神疾患(発達障害もそうかもしれませんが)の発見って,胃潰瘍だと思って病院行ったら胃がんでした,というのとだいぶ違うと思うんです。
少なくとも,発見される方にとっては。
医療側もそれを知っているから,対応先延ばしがあるような(それが是か非かって言ったらやっぱり非だと思うけど)。
その根っこにあるものって,偏見なんでしょうか。
おいらには,偏見というよりは,ある種の怖れがそこにあるような気がしてなりません。
治療法や予後がある程度イメージできる他の病と違って,形のない心が相手で,人間の尊厳そのものを脅かす(かのように見える?)のが精神疾患なんじゃないでしょうかね。
ガンや糖尿病との戦い方は何となく想像がつきます。悪化したらどうなるかも,治ったあとどうなるかも。
要するに,分かりやすい。

でも精神疾患は?発達障害は?
そして,「自分の体」じゃなくて「自分」そのものが病んでいる,と知ることの怖さと言ったら。

滝川一廣先生は精神障害をして「生き方の病」とおっしゃいました。
その言葉にはその種の怖れをも抱えながら生きていこう,という決意に満ちている気がします。
けれどその決意を抱くまでには,相当の葛藤があるのではないでしょうか。

おいら精神科医療の現場の話もうかがうことが出来ますし,精神科がどんなところかもある程度知っています。
だからもし自分が精神疾患を発症したかな?と思ったらさくさく精神科の門をくぐると思います。
でも知らなかったらやっぱり怖いよ,うん。

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テーマ:心理学
ジャンル:学問・文化・芸術
コメント
この記事へのコメント
精神科受診よりも先に
心理療法が始まってしまううちの病院では、
「精神科」「精神疾患」の怖れを払拭するところも
重要な仕事のひとつです。

やっぱり分からないと怖いですよね。
ストレスの話とか神経伝達物質の話で、
ある程度納得して受診される方も多いです。

2005/11/07(Mon) 07:32 | URL  | しゅう #zcj9HRiI[ 編集]
「知らない」「分からない」というのはもちろんですが、
偏見もやはり大きいと思いますよ。

「最近体調悪くて、病院に行ったらガンだったの!」と
地域や職場で言いふらした場合と、
「最近体調悪くて、病院に行ったら統合失調症だったの!」と
地域や職場で言いふらした場合とでは、
周りの反応は違います。
隠したい相手の数も、後者のほうが多いでしょう。
同じように反応してもらえるようになったら、
行きにくさも少し軽減されるように思います。
2005/11/07(Mon) 09:47 | URL  | 千尋 #JgAzp.yQ[ 編集]
私の知り合いの方(心理)は、
精神科領域で勤務なさっている方ですが、
ご自身が精神的につらい状態になってきても、
抗不安薬を服用するまでには相当の躊躇や戸惑いが
あったとお話ししてくださいました。
心理の人間でも精神科で主に用いられている薬を服用するのに躊躇があるのに、
一般の方々の戸惑いや拒否感が小さなものではないだろうということは、
容易に想像できそうです。
薬だけでもこれだけの「敷居の高さ」があるのだから、
受診に至るまでに越えなければならない壁の高さは、
おそらく相当高いのでしょうね…
2005/11/07(Mon) 16:54 | URL  | jack #-[ 編集]
偏見・・・

精神疾患というのは「病気」と言うよりも、
「性格が悪い」に近いニュアンスを含めて想像される方がまだまだ多いように・・・
「人となり」に問題があるみたいな・・・

「こんな病気になってしまう自分はダメだ」とか
「根性が足りない」とか
もよく聞きます・・・

見えないものだけに、偏見がなくなることはないのかもと思ったりもします・・・。
2005/11/08(Tue) 07:47 | URL  | しゅう #zcj9HRiI[ 編集]
>しゅうさん#1
精神科や精神疾患についての怖れを払拭することはもちろん大事ですよね。
でもそこが払拭されても,今までの生活が一変してしまうかもしれないことや,将来的なこと,これから向けられるかもしれない偏見に対する怖れも含めて,やっぱり怖いですよ。
だってそこまで病院は面倒見てくれないし,もしかしたら生活が一変していくわけでしょう。これまでの自分とこれからの自分と,両方を喪うことになるわけですよね。
狭い意味での「病識」「知識」をもってしても,喪ってしまった「これまでの自分」や今まで思い描いていた「これからの自分」を喪うことには変わりない,だからこその「生き方の病」であり,「精神病」から精神「障害」と変えたことの意味もそこにあるのだと思うのですよ。

そう考えると,精神科領域でも,発達臨床領域でも,「障害受容」なんて言葉は軽々しく使っちゃいかんと思うのです。
障害を受け容れるということは人生を受け容れることと同じです。そんな容易にできるはずがないじゃないですか。

その辺を含めて,医療でどこまでフォローできるのだろうかなーと思ってみたり。

そう考えると,病とその周辺って,言うまでもないことですが,ヘヴィですね。

>千尋さん
おっしゃるとおり,「怖れ」の中に偏見ももちろん含まさってると思うんですよ。
んでその「偏見」は重層的で,精神科に通う人や精神疾患を抱えている人に向けられる偏見が根っこにあって,それに引きずられる形で精神科・精神医療領域への偏見がついてくるのかなあと。
たとえば整形外科はよほどのヤブでない限りそんなこと言われないのに,精神科行くと「あんなとこにいくなんて」とか言われたりってことは身近でもありますよ。
やれやれです。

>jackさん
おいらもかつて心療内科のお世話になったことがありますが,その時も怖かったですねえ。
病院が,じゃなくて自分のこの先が,です。
でも心理領域の端っこに引っかかってるものとしては,その怖さの内訳を知ることはやはり実になってると思います。
抗不安剤を飲まねばならないときに感じたためらいや抵抗感がいったいどこから来るのかを見極めるのは,大切な作業だと思います。
因みにおいらは薬に関しては抵抗感なかった(持つ余裕なかったというほうが正しいかも)ですが,おいらが薬飲む時の相方の表情は忘れられないですよ。

>しゅうさん#2
ご本人以外にも,ご家族の無力感やショックは大きいと思いますよ。私たちがついていながら,とか自分たちが精神病にしたんじゃないか,とかね。
医師が対処を遅らすのもその辺にわけがありそうな気がします。
たとえば,告知がうまく行かなくて,ご家族やご本人がショックのあまり,病院に対して他罰的な態度をとられた場合「どこも悪くないのにあの病院で精神病にされかけた!」とか言われたりしたら,病院の評判にかかわりかねないですからね。
病院も商売ですし。
2005/11/08(Tue) 10:10 | URL  | ひな #grcoP6NM[ 編集]
うーん,そう考えると,心療内科の存在価値ってそこにもあるような気がしてきたぞ。
抵抗感から言ったら精神科>>心療内科な気がするし,心療内科から精神科への紹介なら抵抗感もだいぶうすらぐんじゃないでしょうかね。
神経症レベル=心療内科 精神障害レベル=精神科
という固定イメージは精神科受診への偏見や恐怖感をそらす為には便利だと思うのですが。
2005/11/08(Tue) 10:21 | URL  | ひな #grcoP6NM[ 編集]
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