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2009年10月11日 (日) | 編集 |
心理臨床的なかかわりの終結って、おいらが言うまでも無く大事なわけですが、何回か経験してみて、おいらと子どもの別れ際って、ちょっと特徴があるなあと思い始めた今日この頃。

なんでか知らんけど、みんなおいらの痕跡を欲しがるんですよねえ。
あんましいいことじゃないんだと思うんですけど。
いや、あれか、子どもが欲しがるのはいいんだけど、おいらが応じちゃまずいのか。

無形のものなら、ぎゅうってして、とかぎゅうってさせて、とかのお願いだったり、有形のものならお菓子だったり飲みものだったり絵だったりCDだったり、そのときたまたま持ってたMDだったり、まあ色々と。

そして、モノのやり取り付きの別れの、何と甘いこと。

終結に際して、臨床家はできるだけ痕跡を残すべからずというのがセオリーだと思うんですけど、今まで関わった子はたいてい緩~い枠で出会った子たちばかりなので・・・とそれを口実にささやかな贈り物をしたりされたりしているおいらはやはり邪道なんだろうなあ。

やっちまったーと思ったのは、だいぶ前に、とあるコミュニティで関わってた子の1人と、ケータイNoとメアドを交換したら、その子以外の知り合いの子らにぴゃーっとそれが広まったことですかね。
幸運なことにそれでその子たちを傷つけるようなことは今んところ起こってないのですが、あれには参った。
携帯に入ってるおいらの名前と番号見ると安心するんだとその子らは言ってましたが、いやあ、びっくりした。
若気の至りというか単なるバカですた>当時のおいら

何かこう、おいらが寂しがり屋さんな「忘れないでね」的な力動を発してるんだろうかね。
枠が緩い分、子どもが欲求不満なままお別れ、ということになっているのかもしれないし。

ああ、そうか、枠の硬さと痕跡の濃さは反比例してるや。書いてて気づいた。
そういやあ、がしっと関わった子との別れはさらっとしてたし、緩い枠内で出会った子は名残惜しそうだった。

でもさあ、と、開き直るわけではないですが、治療過程自体がクライエントにとっての大きな痕跡だと思うんだけどなあ。
過程は時間だから無形だけど、物質化しちゃいかんてことなのかなあ。
・・・もう一回黒魔女の基礎本読もうかしらん。

とにかくも、今まで出会った子どもたちに渡したおいらのカケラが、その子らにとって無用のものになっていますようにと願い、それが手放せないほどにしんどい状況でなければいいなあと思うわけであります。

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テーマ:臨床
ジャンル:学問・文化・芸術
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