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2009年12月15日 (火) | 編集 |
おいら、自分も犬と暮らす身ですんで、犬やペットを飼う人の暗黙の了解事項とか、経てきた苦労とか、まあ通り一遍には分かっているつもりです。
逆にいえば、通り一遍にしか分かっていないので、こんなニッチな分野をほじほじしているわけですが。

通り一遍以上に分からないことがあるですよ。
それが、ペットを捨てる・処分するという選択肢の存在。
これが、自分にはない。発想すらしない。
先日尼崎市で不正飼育者が犬を処分センターにたんまり持ち込んで、センターの方は策も無くそれを受け入れ続けていたという事件がありましたが、あんなの全然分からない。
ペットの適正な繁殖には、すごい手間と時間と勉強と努力と、そして愛情が必要です。
適正に繁殖している人たちを見ていると、もう、その個体やその犬種に対しての尋常でない愛情がすべてのモチベーションになってるんですね。
だから、繁殖期が終わっても、手放したり処分したりしない。最後まで面倒を看てます。
その子が亡くなった後も、その子の血をひく子どもたちを手塩にかけて育てることで、まだいとおしんでることだって普通にある。

繁殖関係なく暮らしてるペットだってそうです。
飼い切れなくなったから処分する、ということの、意味が分からない。
なんでそんな選択肢が浮上するのか。
なんで次の飼い主を探さないの?
何でしつけしなおさないの?
何なの?馬鹿なの?
ぜんっぜんわかんない。

小さきものと心通わせ保護・養育する力のことを養育性と言うならば、それが落ちている今の日本ではそれは当然のことですよ、と以前大好きな先生から伺いましたが、本当にそうなってきてしまっているのでしょうか。

そんなふうに、ペットを簡単に捨てる人に自分の馬鹿さ加減を知らしめるやり方として、持ちこみ主の目の前で安楽死させるという熊本式は有効なのだと思います。
今まで生活を共にしていたのはおもちゃでも何でもなく生きた動物だったのだということをたたきこむにはそれしかないのかもしれません。
わたしならそれに加えて「もう2度と動物を飼うな」と厳命するな。塩もまくかも。

しかし分からないことを分かるようにするのが研究者の使命ですから、そのうち何かしらの形で着手しなくてはいけないテーマだとは思っています。
それまでには距離をとっとかないとなー。

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テーマ:研究者の生活
ジャンル:学問・文化・芸術
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