2010年01月19日 (火) | 編集 |
とか言いながらこないだペットロスのインタビューでうるうるしてしまったぽちこですおハローございます。
ということは、何やら思いっきり自己弁護なエントリになりそうですが、でもまあ大事な話なので書いちゃおうと。
標記のインタビュアーがダメかダメじゃないかったら、まあ場合によりますよね(あ、カン投げないで)。
例えば私の場合、基本1対1で対象喪失の話を伺うわけですから、8~9割の方が涙されます。
もちろん箱ティッシュは常備。サクッと無くなります。

今まで結構な数のその手の面接をやってきましたが、悲しい気持ちに接することには慣れないすね。全然。
だもんで、どんだけ頑張っても1日2人が限度。
学部のころは、目を腫らしながら話を聞いたもんですよ。

で、現時点で何となく自分で決めているのは、

泣く時はインタビュイーより先には泣かない
泣いてても聞くことは聞く
ということ。
要するに、インタビュイーの話に差しさわりがないように泣く。
涙を押しだす気持ちがコントロールできていればいいのだと思うのですよね。
相手の情緒に自分の感情が揺さぶられること自体は悪いことではないのだけれども、それがせっかくの聞き取りをダメにしてしまうのはやはり残念だなと思うわけです。
揺さぶられても振り回されるな、てことですかね。
インタビュイーだって、別にインタビュアーを泣かすために話してるんじゃないんだしさ。

聴き手が話し手と共に涙を流すことでデータの質に何らかの影響があるかも分かりませんが、わたしは別にそこまで神経質にならんでも、と思う。
仏頂面で聞かれた方がよっぽど悪影響あるんでないかとも思うし、その辺は分かりませんが、少なくとも、悲しむ話し手を一人ぼっちで泣かせたり、話し手の悲しみに惹起された自分の悲しみに振り回されて、話し手を一人ぼっちにするよりは全然いいと思う。

とはいえまだ聴き手の立場というものに関して、自分なりの位置取りができてるかったら危ういんですが、それはまた別の機会に。
でもまあそれでも何とか、インタビュー中の自分なりのかたちは何となくできてきた気がします。
こんなわたしに密度の濃い話を聞かせてくれた、多くのインタビュイーのおかげです。
とはいえそのかたちも、これからの出会いで、まだまだ変わるかもしれませんけどね。

こんな話に興味のある方はこちらをどうぞ。
ちょっとはお役にたつかもしれません。

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