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2016年04月02日 (土) | 編集 |
さて続きです。

最初に言っておく!俺は、自己愛的な人が苦手だし嫌いだ!

はーすっきりした(↑の元ネタが分かる人はおともだち)。
ということで、SVと自己愛の話。

多いですね、最近。若手なのにSV一回も受けたことない人。私の身近にもちょいちょいいますし、噂によれば、ネットでも溢れ返っているのだとか。
そもそもわたし、SVも受けんとケースが持てる=人様の人生に深くかかわれる神経がよくわからないので、理解しがたいわけですが。
SV行ったら生活できなくなるレベルならまだしも、飲み会やお茶会には行けるのにSVには行けないとかね。

そういう人って、押しなべて自己愛的で、独善的で、そして謙虚さがない。
だからいつでも他罰的。
ケースカンファでダメ出しされるとコメンテーターを逆恨み、ケースが中断すると、
「Clのモチベーションが低かったから」
「今はその時じゃなかったから」
としたり顔で言いやがるわけですよ。すごいですね。

わたしなんて、そんなんなったら天を仰いで頭抱えてのたうち回りたい気分になるんですけどね。自分の力不足が嫌で嫌で。
あ、こりゃ中断だな、とわかってしまった回のことや、中断を申し入れてきた時の相手の方の声の硬さなんかを思い出すたびにいやな汗をかく私は、そういう人からは大変なおバカさんに見えてるのだろうなと思います。
ま、バカにバカだと思われても別に痛くもかゆくもないわけですが。

人様の悩みや憂いを元手に給料もらうようになってからもう10年近くなりますが、その間山ほど失敗してきました。
というか、うまくいったように見えるのは、すべてケースの底力によるところが大きい。
んもう薄氷踏みまくり。
でもそんな薄氷を少しでも厚くしたい。昔からその思いは変わりません。
それは、ケースのためでもあり、自分のためでもあります。
そのためには、本を読んでマスターセラピストの振る舞いや考え方を仕入れたり、失敗ケースや自分の向き合い方を、先達とともに振り返ることがどうしても必要です。

しかし、自己愛的な人は、ここにすらたどり着かない。
失敗を失敗と思えない感性、逃げを逃げと感じられないセンスのなさは、研究者としても臨床屋としても超絶アウトだと思うのですよね。
もちろん、一度の失敗で凹むどころか潰れてしまうのも、それもまたどーなのよ、というところではありますが。

北国大時代のゼミは、それはそれは緊張感のある場でした(少なくとも私にとっては)。
ケース検討でもなく、普通に修論や博論の検討ですが、あの雰囲気を思い出すだけで、今も背筋に涼やかな風が吹きますw
今思えば、その場にいる人は皆、それだけの緊張感をもってゼミに臨んでいたということでしょう。
もちろん私も。
気合い入れて耳を傾け、質問には言葉を選び。
わからないことをわからないと表明することや、わからないから自分で考えること、それでもわからなかった時に教えを乞うことのメリットも、あの時代に学んだ気がします。
それが、この仕事でカネをもらうようになった自分の礎になっていることは確かです。

わからないことをわからないままにしておく、失敗を放置して腐らせるのは、生の果実を放置して腐らせてしまうことに似ています。
手を入れれば、おいしいコンフィチュールになって保存も利くというのに、もったいなさすぎる。

SVを受けない人と論文の検討が身にならない人に共通するのは、大変自己愛的で、そのくせそれを野心だと勘違いしている点です。
自我境界が弱いのに自己愛は肥大しているのでしょうねえ。
研究や臨床にあれこれ口出されることを、自分の人格を否定されてると思ってしまってる人が大変多い。
自分の努力の方向性や強さについてダメ出しされてるだけだというのに。

あと、平易な言葉でケースを語る人を馬鹿にする人もいますねえ。これはまあ、昔から一定数いますけど。

総じて、おつむと感性が熟してない方が多いです。

む、ここまで書いたら、向き不向きの話も書きたくなってきたぞ。
しかしもう十分長文だ。
ということでまた次回。
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テーマ:臨床
ジャンル:学問・文化・芸術
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